RYUZYOnoWA!!



第2回三保松原学文化講座のご案内
(三保松原学シンポジウム2016のご案内)

 

東海大学名誉顧問 高橋信由(高19回)

 

2016/10/10 掲載

 
三保の松原は、平成25年6月の富士山世界文化遺産登録に伴って構成資産の一つに選ばれました。近年の三保松原は、日本の「歴史教育や文化教育」などに採り上げられる機会も減り、静岡県以外の若い世代には三保松原の名前すら知らない人も多くなっているようです。現実に、都内在住の静岡県出身以外の40代の世代に「三保松原や羽衣伝説を知っていますか?」と尋ねても、知らないという答えが返ってきました。
「富士山」が日本の象徴として国家や宗教や芸術などに古くから採り上げられてきたように、富士山を借景とする良好な景観を有する「三保松原」も、富士山と同様に日本文化の基層に位置する大切な文化的資源として、戦前までは広く語り継がれてきた歴史があります。しかしながら、三保松原は、戦後に入って「過去の歴史を尊重する時代」から「未来志向の自由と平等の時代」へと変化していくなかで、採り上げられる機会も徐々に減少していったといえます。
私たちは、世界遺産の登録をきっかけにして、富士山や三保松原の歴史的文化的な資源を再確認する必要性を強く感じ、静岡市清水区にある市の教育研修施設や教育機関を会場として、幅広い視点から三保松原を捉えた文化講座とシンポジウムを開催することにしました。(静岡市が建設を予定している[仮称]三保松原ビジターセンター[2018年度完成予定]での文化講座等のモデルになればという思いもあります。)
また、私たち自身が、文化講座やシンポジウムをとおして、三保松原が世界遺産にふさわしい場所であることを、再認識する良い機会になればという思いも強くあります。そして、文化講座やシンポジウムや調査の成果が、将来的に三保松原の魅力を広く後世に伝えることを願っています。
ここに、第2回目の文化講座を実施しますので、ご案内を申し上げますとともに、11月5日に実施されます「三保松原学シンポジウム2016」についても、多くの人が講演とトークディスカッションを聞かれることをお勧め申し上げます。三保松原学文化講座は45名の希望者が出ておりますが、聴講は可能ですので三保松原学文化講座のHPをご覧いただきまして、ご来場をお待ちしております。
 
シンポジウム

 
http://www.nirako-dosokai.org/pdf/matsubara.pdf
 
 
 



伊豆学と三保松原学
東海大学名誉顧問 高橋信由(高19回)

 

2015/10/10 掲載

 
 中秋の名月 9月27日(日)の「静岡県立韮山高等学校同窓会総会」に、卒業以来初めて参加させていただきました。
 岩崎清悟会長を始めとする役員の方々と熱海地区の同窓会の皆様方には、開催までのご尽力に対し心より敬意と御礼を申し上げます。(特に、実行委員長の高19期の同級生・川瀬正美君ご苦労様でした。)
 第1部の総会は岩崎会長の同窓会のあり方に始まり、現在の韮山高校の状況など縷々説明があり、同窓生の皆様方も韮山高校の変わり方に驚いたり感心したり、そして報告事項、審議事項も粛々と進められました。そして私の一番聞きたかった第2部の講演会は、「里はまだ夜深し~江川英龍と韮山反射炉~」と題して、高23期卒業生の橋本敬之氏が1時間半にわたって熱弁をふるっていただき、卒業生であっても知らなかった江川英龍の生き様と、幕末から明治への日本の産業革命の夜明けを聞くに至り、今回の同窓会総会へ参加した意義は果たせました。本当に、目を閉じると江川邸・龍城山・反射炉・蛭が小島の情景、そして高校時代の一コマ一コマが脳裏に浮かんでくるのですから、人生の中で一番多感な高校時期を韮山高校で過ごしたことは、「文武両立」を目指し切磋琢磨した日々が、人生の大きな財産となっているのだと、あらためて認識させられました。第3部の懇親会では、土屋友親副会長、私の悪友?である秋元君(平成建設)ほか後藤君・鈴木君・飯田君らと、今から50年前の高校時代にタイムスリップして熱く歓談しました。静岡県内最も古い歴史を誇る母校という、プライドとアイデンティティーを参加された老若男女の卒業生すべてが持っていることは、他校には類を見ない大きな財産だと思いました。私自身も、おそらくこの生を全うするまで、韮山高校卒業生として「龍城魂」と校訓の「忍」を持ち続けるものと思います。
 
 
 今、私たち三保松原周辺に居住する人々は大きな課題に取り組んでおります。本日の第2部で講演をされた橋本氏が「伊豆学」を主宰され、多方面で活躍されていますが、同様に「三保松原学」を立ち上げようとしていることです。静岡県の方では「富士山学」という学問体系?を立ち上げました。富士山世界文化遺産の構成資産でもある三保松原には、今次の世界遺産に登録されても、登録の意義がわかりづらいし、子どもたちにどのように伝えればよいか困っていました。そこで、有志が立ち上がり今次の登録のポイントである、「三保松原は信仰の対象・芸術の源泉として富士山との関係性が深く、構成資産に相応しい」と評価された点(文化的価値)を、保存し、継承していくために、「守る」「伝える」「交わる」「究める」という観点で、人々のネットワークを作り、常に情報発信をしていこうと「三保松原学」の確立を考えました。現在、羽衣ルネッサンス協議会のメンバーとコーディネーターの本阿弥清氏(多摩美大芸術人類学研究所)が、文学・美学・環境学の専門家を招聘して、文化講座を主宰し参加希望者を募っております。
 本当の意味での、富士山文化遺産(三保松原)を後世に伝えていくための、事業が始まったばかりです。
 
LinkIcon 三保松原文化講座 10/15締切受講者募集中
 
 
 
 

 




龍城山の「松」と、三保松原の 「松」に想う
東海大学名誉顧問 高橋信由(高19回)

 

2015/9/10 掲載

【この文章は、2015/8/10のメルマガ配信後にいただいたメールを掲載させていただきました】
 
立秋となるとも、秋の気配は未だ遠しですね。
しばらくは、この暑さは続きますかな。私も、健康のために(肥満防止?)毎夕、自宅近くの三保の松原の中の「羽衣の 神の道と、羽衣の松周遊コース」を1時間かけてウォーキングしていますが、観光客も夕暮れの中を汗を拭き拭き、歩いている光景を見るたびに、年々異常気象による弊害が出ていると思えてなりません。
 
今から45年前に、この清水市三保の松原の地に教職の第一歩をしるした当時は、三保の松原の松も青々としており、白砂青松の、自然豊かな銭湯に壁に描かれた「三保の松原から見る富士山と駿河湾」でしたが、自然環境の変化に伴い(人間がより住みやすくするために、自然を破壊することによる変化)、松の数は5万本から3万本に減少いたしました。そして残った松も、自生する力が年々衰えて、逆に人間の手を借りなければならない状態となりました。
 
」と言えば思い出すのは、韮山高校時代のことです。
入学と同時に、学校案内と称して、担任の 伊東成城先生が龍城山にクラス全員を連れていき、源頼朝北条早雲豊臣秀吉そして、江川太郎左衛門の話を、解り易くしていただき、如何にこの地が「歴史上の要衝の地」であったかを、認識させてもらいました。その後も、江川邸の見学、蛭が小島の見学、反射炉の見学、本立寺の江川家の墓参りと清掃、などをする(させられる)ことで、韮山という土地を徹底的にインプットされました。
 そしてそこの情景にあるものが、いつも「松」なのです。
 
 松は「常緑針葉樹」です。年間を通していつも緑を私たちの目に届けてくれます。
 また、能舞台の後ろにある板を「鏡板」といい、松の絵が描かれています。この松は舞台正面先にあると想像される「影向(ようごう)の松」が舞台側に写ったもの とされます。影向 とは神仏が姿を現すことで、影向の松は 神仏が現れる時の依代(よりしろ) となるものです。また、松は「寿」の字のような格好だが、鏡板の絵は鏡に映っているという想定だから、「寿」の字をさかさまにした形をしています。神仏に守られて「能」を舞う という舞台装置になっているのです。
 
 今、その松がピンチに立たされています。 龍城山のクロマツと同様に、三保の松原の松もその生育に赤 信号がともり、世界文化遺産の構成資産の地となったことをきっかけに、地元の人たちや 地元の学校が立ち上がり、定期的に松の根元の清掃をするようになりました。しかし、多くの松を元気づけるまでにはいきません。年間数十本の松が立ち枯れをしています。
 だからこそ、我心のふるさと韮山の史跡の松を大切に保存してほしい。そしてなによりも、龍城山の松は校歌の如くあってほしいものだ。
 
  勁 (つよ)くますぐに 飾りなく
  いや伸 びいそぐ 龍城の
  松の太幹(ふとみき) とりどりに
  生(お ほし)立つべき 日は近し
 
このように素晴らしい龍城山の松と校歌は、卒業生の心のよりどころ。
 
 今、「三保松原学」の講座を企画中です。三保松原は、世界文化遺産の富士山の構成資産です。
韮山反射炉のような歴史的な史実があるわけでもなく、むしろ信仰や観光、芸術の対象であるので、地域住民も反射炉のように歓迎する人たちばかりではありません。交通渋滞とゴミの後始末にうんざりしている人もいます。これからどのような方法で三保の松原を保存し、その芸術性を理解し、富士山の持つ宗教的な哲学をどのように伝承すべきかが大きな問題点となっています。
 
 県はただ単に世界文化遺産になれば、観光客が来県し、県としての誇りとなることだけしか考えていません。歴史的史実のない文化遺産の維持と保存及び啓蒙は、まだまだいばらの道です。
 
 
 




韮高に通学し、三保松原に住んで・・・66歳 の雑感
東海大学名誉顧問 高橋信由(高19回)

 

2015/8/10 掲載

【この文章は、2015/7/10のメルマガ配信後にいただいたメールを掲載させていただきました】
高橋さん

 
 
 台風が相次いで沖縄県を直撃し、大きな被害が出ております。住民の皆様にお見舞いを申し上げます。
 さて、高校野球も今日が決勝戦となりました。母校韮高の高校野球で思い出すのは、夏の甲子園初出場の時、故浜田邦夫君の肝いりで毎試合新幹線で、19期生が大挙して応援に行きあのアルプススタンドで校歌を大声で歌ったことですね。もっとも、往復の新幹線の中で、皆で缶ビールを空けながら、他の乗客には迷惑だったかもしれませんが、韮高の校歌を小声で歌ったこと、歌い終わったら他の乗客の方から拍手が湧きました。(そんな良い時代だったね。)
  私は、長泉中学から韮高に入学いたしました。この学年は団塊の世代の真っただ中でしたので、定員も360名ぐらいだったと思います。(おかげで入学できました?)。うち女子生徒は36名で、3年次にやっと文科系理科系半々の、女子16名がいるクラスとなりました。担任は1年次が地理の伊東先生(静岡市在住)、2年次が数学の松本先生(故人)、3年次が同じく数学の増井先生(故人:吉原商業校長・静岡市立商業校長歴任)でした。
バスケ
 中学時代からバスケットボール部に入っていたので、韮高に入ってもバスケットボール部に入部しました。これも、韮高の先輩で、清水中、長泉中の校長を歴任した渡邊智先生の勧めがあったからです。当時は浜松商業と日大三島が双璧でしたので、中体連の県大会終了後、韮高か日大三島か悩んだ末韮高に決めました。入学後は、バスケットボールばかりやっていて、いつも数学は赤点を取って追試を受けていましたが、3年次に文科系クラスとなり、日本史が鈴木荘泰先生で、この先生の授業だけは教卓の前の席で真剣に受け、「お前は社会科の教師になれ」と言われたことを今でも忘れません。勿論、1年次担任の地理の伊東先生の授業が楽しくて、社会科と言っても地理と日本史が好きになったと思います。
主将となったバスケットボール部は県大会出場程度の実績しか残せませんでしたが、龍城祭ではタブーと言われた東部地区の女子高校の制服を着て「ミス韮高コンテスト」を、ステージでやったことです。私は妹が1年生にいたので、韮高の制服を借りて出場したことを思い出します。(他校では考えられないことですね、韮高ならではのおおらかさですね)。
そして体育祭では北軍の委員長を任され、前日から櫓の中で、泊まってデコレーションの制作をし、体育祭終了後は龍城山の神社の前で、打ち上げの「酒盛り」をしたことも忘れられない思い出です。(もっとも、先生方も韮高の入り口の酒屋の二階で反省慰労会をやっていたようですが)。
まあとにかく、青春の思い出いっぱいの韮山高校時代であったということは間違いない事実です。
 
 
 
バスケ
 そんなバスケットボール部の練習で走らされ、美術の時間に写生?に行っていた反射炉が「明治日本の産業革命遺産」として世界遺産登録されたこと、大変うれしく懐かしく思うとともに自分の人生の巡り会わせに驚いています。それは、私が昨年3月に65歳となり校長職を退職した学校が、三保の松原にある東海大学付属翔洋高校だったからです。大学卒業後、東海大第一高校に奉職してから43年間、この三保の地に住み、三保の女性を妻にし、歩いて5分の所に「景勝・三保松原・羽衣の松」があるという世界文化遺産の構成資産のど真ん中で生活しています。生涯で、二つの世界遺産にめぐり会わす人は、そうそういないと思います。先日、私の同級生で沼津平成建設の取締役社長の秋元久雄君に、静岡で講演をお願いした後、食事をしながら時間を忘れて、韮高時代を懐かしみました。そして、別れ際の「高橋、お前は幸せ者だよ、人生で2回も世界遺産の場所にいれたんだから」と、言われた言葉が今でも残っています。
 これからも、韮山の反射炉という世界遺産の地に学び、そして今世界文化遺産の三保の松原に住んでいることを誇りに思って、残りの人生を卒業生の、家族の、地域のために、韮高の「忍」という校訓を胸に、恩返しをして生きていきたいと思います。
 
 
 
 




TBSテレビ60周年特別企画 日曜劇場「天皇の料理番」
プロデューサー 石丸彰彦さん(高45回)

 

2015/6/10 掲載

 
 
☆いよいよパリでの修行生活が始まった「天皇の料理番」ですが、 作品の見どころは?

どうしようもなかった男が どうしようもなく料理に夢を見たお話です。
夢は一人では叶わなくて 夢は一日でも叶わない・・。
人々の愛がその男を大きくしていった・・・。
そんな「愛」を感じてくれたら良いな~ と思って創っています。
 
☆観て良かったなぁと思える作品ですね。 ところで、高校時代に現フジテレビ社長
 亀山千広さん(高27)の 講演を聴いたことが プロデューサーになられたきっかけだそう ですが、
 ドラマのプロデューサーとは?
■企画の立案。
■キャスト&スタッフのキャスティング。
■脚本家と脚本を創る(満足するまで)。
■宣伝パッケージを考える
(屋外広告展開・キャッチコピー・SPOT映像など)。
■出演するキャストに役柄のイメージを伝える。
■ロケ&スタジオの収録時の安全管理。
■予算の管理(技術費はいくら等細かく差配)。
■主題歌&劇中音楽のイメージを考え伝える(決める)。
■監督が編集したもののチェック。
■監督が音楽入れ&音入れをしたものをチェック。
などなどです。
番組全体のトータルパッケージを考え、 運営していくというのが 一番短い説明だと思います。
 
☆まさに「天皇の料理番」という会社の社長ですね。 ご自身の就職した当時と比べてテレビ界は変わりましたか?
就職した当時より他チャンネル化が進んでいます。 リアルタイムで見るべきだったものが、
放送終わったら すぐにネットで見れるようにもなってきました。
 
☆オンデマンドですね。
インターネットというものも1990年代よりかなり進んでいます。
単純に広告収入の事から見ても視聴率だけでは 計れないものになってきていると感じます。
 
☆録画して見る方も多いですしね。 構想から企画が通るまでの時間は?
企画の構想期間は人によってまちまちですし、 企画によってもまちまちです。
長いものならば構想から放送まで3年というものもあります (JIN~仁~はそうでした)
 
☆『JIN~仁~』は江川邸でも撮影し 東京国際ドラマアワードプロデュース賞など 多くの賞を受賞されましたね。
常にどういう企画をドラマでやるのか等は無意識ですが 365日考えているのではないでしょうか。
放送後も、最終回の放送まで視聴率で一喜一憂せず 地に足をつけ、最初に思ったテーマを 大事にしていく事が一番だと思っています。
 
☆時代背景の表現も見事だと思いますが、 2話の見習いコックさんの寮には驚きました。
実際の部屋の写真も何も残っていないので・・・。
見習いの給料などを考え 美術&監督とイメージしてあのような寮にしています。
 
 
本当に多くの皆様の力でドラマは完成するのですね。
今作は、全12話。放送時間もその回によりまちまちです。
それはまさに石丸さんの力のなせる業ですとプロデューサーの お仲間が教えて下さいました。
「BESTは何かを最後の最後まで、 一点の妥協も無く突き詰めているからこそ
 その姿勢が周りを動かすのだと思います」 と。
 
残すところあと5話、ますます楽しみになってきました。
 
 
*石丸さんの以前の記事は、「龍城のWA!」11回、56回をご覧下さい。
http://www.nirako-dosokai.org/melmaga-corner/mlcorner.html
 
 


「韮高同窓会 東北応援ボランティアバス」に乗って

2015/2/10 掲載

ボランティア
渋谷(柴原)由美
 
 2011年7月17日。日本テレビの報道番組『バンキシャ!』を見てわたしは深い感銘を受けました。震災と原発の事故から四ヶ月、番組は「週末ボランティア」の様子を映し出していました。毎週末(金曜の晩)バスで東京を出発し、東北各地の被災地で早朝から炊き出しや泥上げ、瓦礫の撤去作業などをして、土曜の夜中(日曜の朝)に戻ってくるのです。そんな人が大勢いるなんて . . . 。驚き、胸が熱くなりました。さらに驚いたことに、人々のリーダー的存在として紹介されていたビジネスマンは、なんと韮高の同期、伊東(鈴木)雅道君だったのです。
 深い霧の中で光を見つけたような気持ちでした。3.11以降、鎮魂と復活を願いながら、ずっと無力感に苛まれていたからです。9月にはわたしも同じバスで陸前高田へ行き、瓦礫を拾いました。仮設住宅の皆さんに花の苗や湯たんぽを届けるプロジェクトにも参加させてもらいました。
 津波にすべてを根こそぎ持って行かれ、多くの方が亡くなった場所に踏み入るのは、痛みをともなう経験でした。想像を絶する光景が何度も夢に出てきました。けれど地元の皆さんの「きてけらいんね」「まってっがらねー」という声に誘われ、次の週にはまた東北へ向かっていました。
 この伊東君の活躍――ボランティアの仲間だけでなく、すでに地元の皆さんからも、すっかり慕われ頼りにされていました――を仲良しの同期、土屋(林)祐子さんにお話したのが「韮山高校東北応援ボランティアバス」誕生のきっかけです。
 一年後、祐子さんをはじめ多くの方のご尽力によって、第一回目のツアーが実現しました。
2012年11月30日(金)夜~12月2日(日)のことです。
 
第一回 東北応援ボランティアバス
 
二回目・三回目は、やはり同期の土屋知省君と山下(大嶽)信義君が幹事さんをしてくれています。
 
第二回 東北応援ボランティアバス
第三回 東北応援ボランティアバス
 
 わたしは「韮山高校東北応援ボランティアバス」が大好きです。三回とも続けて参加していますが、あと十回でも二十回でも行きたいくらい。理由は数え切れませんが・・・
 魅力の第一は、個人ではとうてい立ち寄れない場所に行き、被災された方々のお話を直接親しく伺うことができることです。これはひとえに、伊東君や土屋君、また韮高ならではのネットワークの賜ものですが、被災者の皆さんは、強い怒りと悲しみに裏打ちされた、人の心を揺さぶる言葉をお持ちです。毎回、実際に見ること、じかに聞くことの大切さを痛感します。
 次に、なんといってもツアーに参加される皆さんが素敵なこと。とくにお元気な大先輩方には、ほんとうに励まされます。わたしも将来こうなりたい・見倣いたいと決まって思わせてくださるのですから。
 三つめは、この東北応援バスの話をすると、誰もが「なんてすてきな高校なの!すばらしい同窓会ね」「しかも続けているのがすごい!」と褒めてくれることです。かいつまんで話すだけで、東北はもとより伊豆の人々にも思いをはせてもらえる。故郷を離れて暮らす者にとってこれほど嬉しいことはありません。
 ときどき、「今頃行って、何か役に立つことができるのですか?」と訊かれます。「ボランティアが減っている今だからこそ、いっそう必要です。震災を風化させないためにも、行くことに意味があるんです」とお答えしています。じつは、わたし自身、非力な自分に何ができるんだろうという迷いが沸き上がるたびに、ある被災者のかたの言葉を思い出します。
「ボランティアの仕事で大切なのは、作業そのものではありません。"いまも忘れずに、気にかけて来てくれる人がいる" という事実を、実際に見せて伝えることです。――ですから、みなさんは来てくださるだけでいい、存在だけで十分にありがたいのです」
 地元の皆さんとの交流で現地の実情を知り、ささやかなお手伝いや買い物で東北を応援するツアー、ご一緒しませんか?
 第四回のボラバスは、6月19日(金)夜~21日(日)。ご家族・お知り合いも誘われて、ぜひご参加ください。
 
 
 


三島市役所龍城会

2015/1/10 掲載

渡辺義行(高30回)
 
 私たち三島市役所龍城会は、三島市の職員や議員等で構成され、会員数は職員88人、議員5人の合計93人です。おそらく日本中で、韮高の卒業生が最も多い事業所だと思います。間違っていたらごめんね青春!
 当会の活動は、夏の「暑気払い」と春の「新年会」という酒飲みにはたまらない行事が中心で、ここで育まれる会員相互の絆は強固です。新年会は泊まりという豪華さで、最近は伊豆長岡温泉で定着しています。昔は新入会員が新年会で女装などの余興を披露して大いに盛り上がったものですが、近年は一歩間違えばパワハラになるとの危機意識からか、このような趣向が影を潜めてきており少々寂しく感じます。ただ、10年前に比べ急増した女性会員が、大挙して参加してくれるので、昔より今の方がいいと簡単に納得してしまう今日この頃です。
 女性会員の出席率の向上は、ステーキや鮑を女性会員にだけ追加し、食べ物で釣ろうという歴代幹事の涙ぐましい努力の賜物です。
暑気払いも新年会も、締めはやはり校歌や寮歌の斉唱です。出席者約70人が輪になって肩を組み、文字通り放歌高吟しますので古い旅館なら倒れるくらいの超ど迫力です。参加者全員が韮高生でよかったなあと感じる瞬間です。
 さて当会の会員は、飲み会ばかりに力を入れているわけではありません。そのパワーを当然仕事にも注いでいます。会員である豊岡武士市長と土屋俊博議長を先頭に、行政と議会が両輪となりチーム三島として、「ガーデンシティみしま」と「スマートウェルネスみしま」というふたつの施策をメインに、湧水と緑と花に囲まれた誰もが住みたくなる美しく品格のある健幸都市を目指しています。こうして築いてきた美しい三島の街並みに宮藤官九郎監督がぞっこんとなり(ご本人談)、昨年暮れまで放映されたTBS系日曜夜9時のドラマの舞台にしてくださいました。ご存じ「ごめんね青春!」です。
 これからも三島市役所龍城会は、仕事に懇親会に全力投球する会員の心の拠りどころとして、ますます発展していきます。

韮高柔道部OB会

2014/10/10 掲載

 
橋本五十夫(高14回)
 
平成26年9月6日(土) 伊豆長岡のホテルサンバレー富士見で、韮高柔道部OB45人にご参加いただき、野田昭一氏(高16回)の静岡県柔道協会会長就任を祝う会を行いました。
 そのときの集合写真を公開します。

「トツキトウカ」について

2014/07/10 掲載

野村理美(旧姓:細井) 中山綾子(旧姓:松井) 清水友美(旧姓:磯野) 川瀬美智子(旧姓:木村)
 
 
「トツキトウカ」を 立ち上げた理由
韮山高校同窓会の皆さま、こんにちは。野村理美(高53回、旧姓:細井)と申します。
私が参加している地元の子育て環境活性化プロジェクト「トツキトウカ SHIZUOKA EAST」についてご紹介させていただきます。 まず「トツキトウカ」とは、妊娠中~1歳を迎えるまでの赤ちゃんへ、ご家族からのメッセージを集めた詩集であり、その静岡県東部版を発行するべく、県東部の子育て情報サイト「ママとね(http://www.mamatone.net/)」を窓口に地元のママ30人ほどで実行委員を組織し、10月発行に向けてメッセージの募集、PR活動、活動資金への協賛募集を行っています。韮高OGからも出産を経験した4名が実行委員として参加しております。
 静岡県は現在、転出が転入を上回る人口の転出超過が全国ワースト2であることをご存じでしょうか?さらに県内で、子どもを産む中心である20~39歳の女性人口が2040年までに半分以下になる「消滅可能性都市」と位置づけられた自治体が11あり、そのうち9つが伊豆を中心とした静岡県東部の自治体です。 この状況に、子育て世代がつながるきっかけを作る事で貢献できないか。「子どもを産み育てることが幸せ」と思えるような地域を作っていきたい。そんな思いで、このプロジェクトを立ち上げました。 県東部の各自治体の後援を受け、できあがった詩集は母子手帳交付時や赤ちゃん訪問時、子育て関連施設などで無料配布していきます。
 つきましては、卒業生の皆さま、地元のママたちが推進するこの地元活性化プロジェクトを、ぜひ応援してください!これから生まれる未来の韮高生が多くの友達に囲まれ、笑顔で健やかに育つような環境を一緒に作っていきましょう!

「トツキトウカ」への応援方法は2通りあります。



【赤ちゃんへ贈るメッセージの投稿】・【活動資金への寄付】です。
現在7月末まで赤ちゃんへ贈るメッセージを募集しています。また、この詩集の発行・配布にかかる活動資金を、プロジェクトに賛同してくださる地元企業や個人の方からの寄付によって、集めております。静岡新聞、朝日新聞、東京新聞など様々なメディアに取り上げていただいていますが、いまだ認知の低い活動です。活動を広めていただくだけでも大変ありがたいです。
トツキトウカSHIZUOKA EAST       http://www.mamatone.net/#!untitled/c17u1
メッセージの応募はこちら(7月末〆切)  https://pro.form-mailer.jp/fms/f0cb791d58286
企業協賛はこちら →  http://media.wix.com/ugd/985deb_1bff860a490d420693722d82d9824020.pdf
※11月2日に詩集発行記念イベントを予定しており、そちらへのブース出展も募集しております。
個人協賛はこちら → インターネット募金サービス『FAAVO静岡』 https://faavo.jp/shizuoka/project/250
7/22(火)までに目標募金額を達成しないと、多くの方のお気持ちを1円も受け取ることができません。
皆さまからのご支援をお待ちしております!!
このプロジェクト、ご協賛についてなどお問い合わせは私までメールにて直接ご連絡ください。
groove_sal_89@hotmail.co.jp (野村

  
  
  

第2回三島龍女会に参加して

2014/04/10 掲載

石井 尚子(高33)
 
 3月15日に第2回三島龍女会が『地元・三島を再認識』をテーマに開催されました。
高5回から59回までの三島市及び近隣市町から女性14名が参加しました。
 楽寿園に集合し、楽寿館見学後、認定ジオガイドの山口東司さんに
園内から浅間芝岡神社まで案内してもらいました。これまで無意識に通り過ぎていた
園内各所に貴重なジオポイントがあることを知り、勉強になりました。
 そして、いよいよ『ロザート』での食事会。
美味しい食事とデザートに楽しい会話、あっという間の4時間でした。
 次年度は10月に『クレマチスの丘』で開催予定です。
女性の皆様、参加してみませんか!!
 

 
 
 

第2回三島龍女会に参加して

2014/04/10 掲載

木内 きよみ(高36)
 
 今回、第2回三島龍女会に、初めて参加させていただきました。
卒業してから早30年。親しい友人と会う事はありましたが、
同窓会と名のつく行事に参加した事はありませんでした。
「三島支部でこのような会が催されるので参加してみない?」と世話人の
Fさんからお誘いを受け、人柄に吸い込まれるように参加を決め、
友人を誘って当日を迎えました。
 今まで、家族と共に楽寿園に行く事はありましたが、楽寿館の存在すら知らず、
また園内の溶岩流の知識など微塵もなかったので、貴重なお話を聞く事ができ、
三島そして伊豆には、こんなに沢山の歴史や自然の恵みがあるのかと、
改めて感じました。
その後のロザートでのランチも、こじんまりとした雰囲気のあるお店で、
イタリア家庭料理を美味しくいただきました。また、初対面の大先輩や若い後輩と
同じテーブルを囲んでのおしゃべりも、同窓生という共通項のお陰で話も弾み、
あっという間に時が流れていました。
 韮山に住みながら、同窓生と会う機会のなかった私に、このような機会をくださって
本当にありがとうございました。また来年誘っていただけたら、是非参加したいと思います。
女性の皆様、参加してみませんか!!